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執筆者の写真秋山妙子

「生きること:排泄物」


ウェブマガジンの7月号が出来ました。

友達の一人に、なぜか顔を付き合わせる度にこの手の話になってしまう人がいます。

食べてるときにもこの手の話。

排泄物、体液、生き物を食べて自分の身体の一部にすること、死体、善悪。

生き物を食べないと生きてゆけず、あらゆる体液を作り出してしかるべき場所へ放出し、そして排泄すること。

私にとってそれが根源的なことで、片時も忘れたくないのです。

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リンクを貼ると、面倒なので、文章をコピーしたものを貼りました。

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「生きること:排泄物」

排泄物が物語の中にぬっと入って来る話が好きだ。

私の中で排泄物織り込み作家と言えば、カカオ粒と蜂蜜酒の放屁排便三昧の女をクラクラするような密度で描いたガルシア・マルケスと、身体を清めたり食事を入れたりする洗面器にまたがって排尿をする女を描いた金子光晴で、彼等は女と排泄物を巧妙に組み合わせて、ひたひたと歩く裸足の足やうねるような生命力の描写をする。

昔、アンソニー・ボーデインというシェフの著作の中で、大きな豚を屠殺した後、解体班の一人が豚の肛門に腕を突っ込み大便を掻き出している描写を読んで仰天してから、私の中に「そうだ、哺乳類は皆腹の中に大便を装填して生きているんだ」という感覚が深く入り、以後これは非常に大切なことだと思っている。

排泄物は常に巧妙に隠されているけれど、生きる以上これに接しなければならない時があって、綺麗事のようなある一線を越えると、どんどん根源的なものに近づき、強く(そして鈍く)なっていく。

そして、排泄の手助けや処理を、静かにこなしてゆく手によって、人の尊厳が守られながら、生の連鎖が続くのだと考えています。

出産。育児。医療。介護。看取り。

私の中では、生きることと言えば、排泄。なのです。

おやすみなさい。

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ではでは、良い夜を。


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